原辰徳の息子と沢尻エリカの関係がやばい!1億円事件の犯人は清武か?

新型コロナウイルスの影響でプロ野球は、当初3月20日の予定だった開幕を延期し、5月25日に行われた12球団代表者会議で新たな開幕日を6月19日に定めたことを発表しました。

そんな中、巨人の選手に新たに2名感染が確認されました。

巨人はじめプロ野球界、そして開幕を待ちわびるファンには痛い知らせとなりました。今回はそんな巨人の監督「原辰徳さん」とその息子嘉宏さんについてご紹介していきます。

現巨人監督 原辰徳さんはどんな人?

 
原辰徳さんは、プロ野球・読売ジャイアンツの監督で、福岡県大牟田市生まれ、神奈川県育ちの62歳。

(生年月日:1958年7月22日)出身高校は、東海大学付属相模高等学校、最終学歴は東海大学卒です。

現役期間は1981年〜1995年。全て読売ジャイアンツ所属です。また、人気絶頂の1986年に6歳年上の一般女性(明子さん)と結婚し子供がお1人います。

原辰徳さんは元祖アイドル野球選手?!

原辰徳さんといえば「元祖アイドル野球選手」と呼ばれるほど絶大な人気を誇る選手でした。

1974年、東海大相模高校に入学し、1年生のうちから三塁手のレギュラーとして活躍しました。

夏の甲子園には3年連続で出場し、1975年の春の甲子園にも出場しています。

この大会では決勝戦まで勝ち進み、延長の末、高知高校に敗れたものの、準優勝という成績を収めています。

高校通算本塁打は43本でした。その生まれながらの才能、そして爽やかなルックスも相まってか、

神奈川県大会では川崎球場を満員にし、当時この球場を本拠地としながら閑古鳥を鳴かせていた大洋ホエールズの関係者がたいそう羨んだという伝説まで残しています。

そんな辰徳さんは物心ついた時から、父の貢氏が監督を務める東海大相模高等学校で野球がしたいと考えており、それを父に話すと2つの条件を提示されたそうです。

1つ目は、他の部員と実力が五分五分なら補欠、七三ならレギュラーに考えてもいいということ。

2つ目は「人が1回でもお前は3回。それでも周りは厳しい目で見る。それが耐えられるか。」ということでした。

辰徳さんは即座に「耐えられます」と答えたそうです。

監督が父親、それに才能も人気も兼ね備えており世間からも大注目だった辰徳さんは、高校3年間父の「愛のムチ」を受け続け、練習に精を出しました。

高校3年最後の夏の甲子園を終えた父・貢氏は辰徳さんに「ご苦労さん、よくがんばった。

お前に厳しくすることが、チームの和を保たせるために必要だった。ただ、俺もきつかったぞ」と言葉を贈ったそうです。

原辰徳さんと定岡正二さんの熱闘に抗議が殺到?!

1974年、原辰徳さん当時高校1年生、定岡正二さん高校2年生の夏の甲子園での出来事。定岡さんの存在は全国的に、ほぼ無名でした。

1年生「五番・サード」の原辰徳さん。定岡さんは辰徳さんに2点タイムリーを打たれ、先制を許すも続く2回表には、

定岡さん自身の二塁打もあって3点を奪い、逆転するという試合展開でした。

しかし9回裏、定岡さんはまたもや辰徳さんのヒットから1点を失い、同点とされ延長戦に突入します。結果試合は14回までつづき、互いに1点ずつを奪い、4対4。

そして15回表、鹿児島実業が再び1点を奪い、リードします。

その裏、定岡さんは先頭打者を三振にし、ここまで3安打、13回には敬遠もした辰徳さんを二ゴロ、最後は山口宏さんを三振に打ち取り、ゲームセット。

213球の熱投でした。熱い熱い試合展開に当時の人々はテレビに釘付け状態でした。テレビ視聴率は、34パーセントでした。

しかしここで大問題が発生するのです。この試合は第4試合ということで最後はナイターのためNHKのテレビ中継がなくなってしまいました。

このことでNHKには抗議の電話が殺到し、翌年から延長でも中継が行われるようになりました。

テレビ放送まで変えてしまうなんて、圧倒的な注目度だったんですね。

辰徳さんは発言においても伝説を残しています。

甲子園出場を控えた本番前の球場での練習で「甲子園には幼いころからずっと憧れていました。

すごいところなんだ、と。そう思い続けたせいでしょうか、実際に甲子園で練習すると『小さな球場だな。これならなんとかなる。

自分でもホームランが打てる』と思いました。」と記者に語り、既に「大物の予感」を漂わせていました。

原辰徳さんのその後

辰徳さんは、大学卒業後に読売ジャイアンツに入団し、1980年代から1990年代半ばまで4番打者をつとめました。

現役時代には1981年に新人王、1983年にMVP、ベストナインが5回、ゴールデングラブ賞が2回など輝かしい実績を獲得しています。

現役引退後は、野球解説者などを務めていた時期もありますが、1999年より読売ジャイアンツのコーチに就任しました。

そして2001年には長嶋茂雄監督の後を継ぎ、監督に就任しチームをリーグ優勝7回、そして3度日本一に導いています。

また2009年のワールドベースボールクラシック(WBC)では日本代表監督として日本チームを世界一へと導きました。

原辰徳さんと妻明子さんは波乱の末の結婚だった?!

辰徳さんは、野球選手としてまさに人気絶頂の頃1986年に6歳年上の一般女性(明子さん)とご結婚しています。

もともと大学時代から交際していた辰徳さんと明子さんでしたが、ご結婚されるまでには紆余曲折ありました。

辰徳さんは大学卒業後、読売ジャイアンツ入団1年目のオフの時期に明子さんにプロポーズをしました。

しかし野球の師匠でもあり絶対的な存在である父親の貢氏にこのことを猛反対されてしまいます。いつしか交際は途絶え、明子さんは別の男性と結婚してしまいました。

この出来事での当時の本人のお気持ちは、正確にはわかりませんが、恐らく失意の中にあったと思います。そんな中辰徳さんには、次から次へとテレビCM出演のオファーが持ち込まれました。

その数合計7社に及びます。いくら球団側が辰徳さんの売り出しに血眼になっていた時期とはいえ、現役プロ野球選手に対して尋常な数ではありません。

それもそのはず、このCMオファー殺到の裏には父・貢氏が、動いていたと言われます。

7社のうちいくつかは、父・貢氏を通して持ち込まれた話だったのです。

父・貢氏は「CMに押し潰されたらプロじゃない。プレッシャーをはねのけていい成績を残してこそ価値があるんだ」と後に語っていたそうです。

プロポーズへの反対をした父・貢氏からするとこれは、息子に対する「試練」だったのかもしれません。

しかしこの後、辰徳さんはストレスや落ち込み、プレッシャーからスランプに陥る時期が多くなり、マスコミから袋叩きにあうようになってしまいます。

何年か経ったのち、1985年のシーズンになると、辰徳さんは復活の兆しを見せ始めます。

実はこの年、辰徳さんは明子さんと再会をしており、なんと彼女は離婚しているということが分かったのでした。

今度は父・貢氏の反対を押し切って原は一直線に結婚まで突き進みました。

そして1986年11月に挙式披露宴を行い、世間からも祝福されたのでした。

その後2人の間には1988年に息子・嘉宏さんが誕生します。

原辰徳さんの1億円事件の真相は?!

2012年6月辰徳さんの女性問題に端を発したスキャンダルを週刊文春が報じました。

内容は、女性問題隠ぺいのため元暴力団員の要求に応じ1億円を払っていたというものでした。

巨人は辰徳さんの1億円支払いは認めましたが、反社会的勢力との認識はなかったと説明しました。

辰徳さんは2枚の書面を公表しファンに謝罪するとともに、前球団代表の清武英利氏の関与を指摘し、一連の騒動の「終戦」を訴えました。
 
トラブルの発端は1988年の出来事に遡ります。当時現役だった辰徳さんは、兵庫県芦屋市内にある巨人定宿のホテルでアルバイトをしていた女性と深い関係になってしまいました。

その後トラブルに発展し、女性は1995年の阪神淡路大震災前後に失踪してしまいます。

そののち元同僚を通じて女性の当時の心情がつづられた日記が暴力団関係者に渡ってしまいます。

18年後の2006年8月、辰徳さんに見知らぬ男性から電話が入り「女性との関係を表に出さないように解決するから」と1億円を要求してきました。

日記には、当時の巨人コーチの名前も2人書かれていることから辰徳さんはその日記と引き換えに要求をのんで1億円を支払ったとされています。

その後日記は処分されます。

しかし2009年になって別の男性から「日記を返せ」と辰徳さんの自宅や球団事務所が嫌がらせを受けたことで、球団は過去の恐喝事件を把握し警察に相談します。

数カ月後、その男は威力業務妨害で逮捕されることとなったのです。

辰徳さんはこの件に関して「ファンの皆様へ」と題した異例の書面を発表しました。

書面の中で「1988年ごろ、私はある女性と関係を持ちました」と不倫関係を認め「ゆすられていると思い、

不安を感じた一方、私を助けてくれるのだとも解釈し、要求された現金を渡しました。苦渋の決断でした」と続けました。

そして「私個人の不徳の致すところ。ファンの皆様、大変申し訳ありませんでした」と騒動を謝罪したのでした。その一方で「清武さんへ」と題した書面も公表しました。

解任された前球団代表の清武氏が情報流出に関与しているとの見方を示したものでした。

「巨人軍の選手、OB、関係者を傷つける報道が相次いでいます。こんなことがなぜ続くのか。

清武さんのほかに、いったいだれがいるのか。巨人軍の一員だったことを誇りとして、これからを歩んでください。

まだ間に合います」と訴えかけました。

原辰徳さんの息子・嘉宏さんは遊び人?!

1988年に誕生した辰徳さんの息子である嘉宏さんは、父とは違い野球界には関わっていません。

代わりに聞こえてくるのは「六本木の遊び人」「小遣い数百万」などの噂なのです。

巷ではまさに「どら息子」だという声も聞こえてきます。

嘉宏さんは父と同じく幼少時から野球を始めました。しかしそれもまったくモノにならなかったといいます。

嘉宏さんに関しては「学生時代から月に数百万円の小遣いをもらっていた」とインターネットで報じられたこともあります。

また、元KAT‐TUNの赤西仁さんらとよく遊んでおり、六本木界隈では知らぬ者のいない遊び人として名が通っているそうです。

嘉宏さんは、慶応幼稚舎からエスカレーターで慶応大学文学部まで進学します。

ニートを経て、今はなんとシャンパンの輸入を手がけているといいます。

嘉宏さん高校時代には「父親にかなり飲まされてベロンベロン」

「趣味はパチスロ」というブログが週刊誌に報じられたこともありました。

2009年の読売ジャイアンツ優勝旅行では父・辰徳さんに付いて嘉宏さんも現れました。

しかし選手には身だしなみを厳しく注意するのに、息子は茶髪でいわゆる「チャラい姿」だったので一同はア然としていた、と言います。

このように、あまり良い噂を聞かない息子・嘉宏さんです。

原辰徳さんの息子・嘉宏さんに薬物使用疑惑?!

「六本木の遊び人」として名を馳せる嘉宏さんには、薬物を使用しているのではないか?とたびたび疑いがかけられています。

始まりは2015年10月に違法薬物所持で逮捕されたタレントの高部あいさんとの交友関係を疑われたことからです。

嘉宏さんはその金遣いの荒さから、よくクラブのVIPルームを占拠していました。

そこによく来ていたとされる高部さんと知り合う可能性は大きく、高部さんの「コカインルート」の候補に入ってもおかしくない、と疑いが向けられていました。

奇しくも2015年10月は原辰徳さんが巨人軍の監督からの勇退を発表した時期でもあったので「もしや…?」と勘ぐるような声もありました。

その後2018年4月に嘉宏さんは、厚生労働省の麻薬取締部に家宅捜索・尿検査をされます。

しかし検査結果は「シロ」で自宅からも薬物に繋がるようなものは何も見つからずに終わったのでした。

しかしここまで徹底的な捜査がされるということは、何かしらの「証拠」を押さえられていた?と思われます。

そこからさらに時が経ち、また嘉宏さんが疑われる事案が発生します。

沢尻エリカさん逮捕で原辰徳さんの息子・嘉宏さんにも疑惑が?!

2019年11月16日に女優の沢尻エリカさんが違法薬物所持で逮捕されました。

このことで薬物使用関連で複数の有名人が「芋づる式」に逮捕されるのでは?とささやかれています。

嘉宏さんは以前から、前述した高部さんも入っていたとされる、元KAT-TUNの赤西仁さん率いる「赤西軍団」と交流がありました。

赤西軍団には他にも錦戸亮さんや山下智久さんもメンバーとして加入しているそうです。

赤西軍団は素行が悪いともっぱらの噂で2014年には一般人とトラブルになり、警察沙汰になったこともありました。

沢尻エリカさんと嘉宏さんとの直接の関係は取り上げられていませんが、

これだけ六本木で幅をきかせていた「赤西軍団」の一員嘉宏さんと、同じく遊び人沢尻エリカさんが出会っている可能性はとても高いように思えます。

原辰徳さんの息子・嘉宏さんの現在は?

嘉宏さんは、大学在学中に知人とワインの輸入を手がける会社を立ち上げました。

しかし実態が見えずさすがに辰徳さんも心配になったようで、なんとか息子を入社させようとフジテレビの幹部に頼み込んだのだそうです。

ところが、フジテレビ側の返事は「NO」でした。

「大学の単位が足りずに2013年3月の卒業見込みが得られなかったから」とも言われていますが、一番の理由は彼の評判の悪さだったそうです。

そして現在の仕事については、2010年12月から株式会社MAMIROの代表取締役を務め、麻布十番にあるフランス料理店「嘉YOSHI」を経営するオーナーになっています。

このお店も父・辰徳さんが「持たせてあげた」お店ではないか、と言われています。

住まいも両親の住む家では無く都内に一軒家を購入してもらい、そこに一人暮らしをしているといいます。

また、Facebookの勤務先欄には「株式会社エイトコーポレーション」と書かれています。

こちらは、父・辰徳さんのマネジメント会社のようです。

まとめ

辰徳さんは、1億円事件、そして息子・嘉宏さんの薬物疑惑でいつ足元をすくわれてもおかしくない状態です。

辰徳さんは過去の選手実績・監督実績はWBCも含めて素晴らしいものですが、

このような「疑惑」が付きまとうのは関係者やファンとしてもいい気持ちはしないでしょう。

色々な意味で今後も巨人から、原辰徳監督から目が離せませんね。